どうも、ゴヨラジ!パーソナリティーのホシノ伍曜です。
最近、YouTubeでウマ関連の動画をよく観ているのですが、どういう流れでそうなったのか本人も分からないのですが、格闘技系…いや、どちらかというと武道家系のチャンネルを観始めています。
合気道、中国拳法、躰道、ジークンドー、システマ、ウェーブ、戦場格闘術などなど…
別に強くなりたいとか、体を鍛えたいとか、そういう目的は無いんだけど、自分でもどこを目指してるのか、よく分からないんだけど、瓦割りとか、新聞抜きとか、ロウソク消しとか、そういうパフォーマンス的なものを観てるだけでも楽しいし、護身術とか、活法としての武術とか、ためになりそうなものもあって、すっかりハマっています。
ブルース・リーとか、ジャッキー・チェンとか、シルベスター・スタローンとか、男子なら一度は憧れたと思います。
そんなオッサンが、夜な夜なお酒を飲みながら、ニヤニヤしながらYouTubeを眺めている姿を想像してみてください。
…ヤバい、ただただヤバいですね。
あ、ちなみに私はほとんどお酒飲みません。
さ、そんなわけで、今回も競馬関連の雑談コーナーです。
今回は、「競馬で一番ショッキングだった話」をしていきたいと思います。
それでは本日も、発射オーライっ!
(こんなあいさつ流行らんて…)
若き天才ジョッキー岡潤一郎
私が競馬を始めたのが、1990年のオグリキャップ引退レースとなった有馬記念からなので、ちょうどこの頃に「岡潤一郎」という若手騎手が台頭し始めた頃になります。
オカジュンとか、ジュンペーの愛称で親しまれ、かっこいいルックスもあって、若手人気ジョッキーの筆頭に挙げられていました。
岡騎手は、1988年にデビューして、その年に44勝を挙げ、JRA最優秀新人賞を受賞しています。
90年の宝塚記念では、オグリキャップに騎乗し、惜しくもオサイチジョージの2着に敗れてしまいますが、91年のエリザベス女王杯では、リンデンリリーに騎乗し、初のG1制覇を成し遂げます。
デビューから4年でG1を勝って、これからという時にある出来事が起こります。
未だに語り草となっている衝撃的な落馬事故
それは、1993年1月30日、京都競馬場の第7レース、新馬戦でした。
当時、私はほとんどG1レースしか観ていなかったので、のちに新聞などで知ることになるのですが、岡潤一郎騎手が騎乗したオギジーニアスが第4コーナーあたりで故障が発生し転倒、岡潤一郎騎手が投げ出される形で落馬…
競馬には、競走馬の転倒や落馬は、ある意味日常茶飯事の出来事ですが、時速70kmを超えるサラブレッドが、最後の直線に向けて最高時速になるところでの落馬事故。
先頭を走っていたオギジーニアスが転倒し、コース上に投げ出された岡騎手は後続馬の蹄が頭部に直撃してしまいました。
その後、故障したオギジーニアスは予後不良(安楽死処分)となり、岡騎手は意識不明の重体となりました。
肺炎を併発し、2月16日に意識が戻らないまま帰らぬ人となってしまいました。
この訃報をスポーツ新聞で知ることになるのですが、享年24歳でまさにこれからという時に、「武豊のライバルになり得る」と言われた若手ジョッキーの筆頭株の訃報に、大変衝撃を受けました。
オギジーニアスのデビュー戦でもあり、この馬も将来を期待されていて、このレースでも1番人気に推されていたそうです。
将来を嘱望されていた騎手と競走馬を同時に失ってしまったという、なんとも悲しくて悔しい落馬事故でした。
岡騎手は、デビューから5年半で、225勝を挙げ、重賞を5勝、G1を1勝という成績を残しました。
競馬のオールドファンは、今でもこのように彼のことを思い出しながら語っていますし、当時の活躍を振り返る写真展とかも開催されていたりします。
エンディング
ちょっと暗くて切ない話になってしまいましたが、私が競馬を始めて一番ショッキングだった話ということで、お話させていただきました。
そろそろ、いいかげん大喜利の話をしろと言われそうなので、次回は大喜利の話ができるといいな?
はい、お約束はできませんが、次回もお楽しみに…
それでは、本日はここまで。
お相手は、ホシノ伍曜でした。
またね〜!!